伊藤スタジオ2010
「空地の類型学—東京の infr@rchitecture その2」」
趣旨
巨大都市東京は江戸以来数百年の歴史を堆積させ、スキマだらけでありながら高密で高性能な都市をつくりあげてきた。これは欧米の都市の造りとは大きく異なる、日本の都市の重要な特徴のひとつであろう。東京の空地はある意味で、都市の複雑なプログラムを円滑に稼働させるインフラといえるかもしれない。
このスタジオでは、規模・形態を問わず、道路と水系を除く江戸・東京のすべての空地を考察の対象とし、以下の作業を通じて都市インフラという視点から東京へのアプローチを試みる。
- まず「空地の類型学」を仮説的に構築する。
→何を空地と見なすか:テンポラリーな空地(コイン駐車場など)、インフラ下部の空地など、さまざまな空地分布を図面上に表現する方法も含めた「空地の類型学」 - 次に「空地の類型学」にもとづく各タイプの空地について、その歴史的変遷と都市的なコンテクストとの関係を考えながら「空地性」なるものの概念規定を試みる。
→レム・コールハースの「ヴォイドの戦略」、河岸地や会所地、広場・公園に関する先行研究などを参考に - 最後に「空地性」のもつ多様性、可能性をさらに展開させるようなプロジェクトを提案する。
都市インフラ論から東京のインフラーキテクチャーへ
「都市インフラ」は「都市イデア」の対となる概念であり、通常の国家ないし地方自治体などの公的機関が公共事業によって整備する物的な基幹施設や社会資本、エネルギーや水・食料などのライフラインのことを指す。
19世紀に成立する近代国家は、ある意味でこうした社会資本を整備することによって公共的役割を果たし、その存在意義を示してきたといえる。一方、社会資本という側面をもつ概念としてのインフラは、近年、経済学を中心に急速にその文脈の拡大・深化が行われ、狭義の土木的インフラやエネルギーはもとより、水や緑などのコモンズ、社会の円滑な稼働を促す制度や教育、文化までもが社会資本としてのインフラ概念に包摂されるようになった。都市インフラ論は、こうした社会資本論にも学びながら、都市建築史的・学際的観点から都市インフラという概念のさらなる豊富化を目指す。そして建築–土木–都市を貫く都市の基盤的な存在全体を都市のインフラとして視野に収め、ごく普通の人々が住む身近な住宅地の風景から、道路・鉄道・エネルギー、さらに都市へと連なる建築的なデバイス(=infr@rchitecture)を再発見・再創造していこうとしている。
本スタジオはこの「都市インフラ論」の拡充・深化を目指すサーベイ型歴史スタジオの第2期であり、「空地」を単なるスキマではなく、広く都市のインフラと捉え直し、都市の基盤となる建築的デバイスを提案するものである。前回の第1期は「水と記憶」というテーマで東京のさまざまな水を再考した。
指導担当
伊藤毅教授、横手義洋助教、渡邊大志(伊藤研D/早大石山研)、小島見和(T.A.)、高橋元貴(T.A.)
スケジュール
Step 1 [リサーチ] | 第1週 | 出題 |
第2週 | スタディ成果発表「空地の類型学」 | |
第3週 | 現地見学会 | |
第5週 | 「空地の類型学」都心マップ作成 | |
Step 2 [プロジェクト] | 敷地選定、プロジェクト構想確認 | |
第6週 | 中間講評 | |
第7週 | 敷地・計画の決定、マスター・プラン(平面・断面) | |
第8–10週 | 設計エスキス等 | |
第11週 | 提出・展示・第1次講評 | |
第12週 | 第2次講評 |
リサーチ参考文献・資料
- 江戸の空地について
→伊藤好一『江戸の町かど』 - 西洋の空地(広場)論
→ジッテ『広場の造形』、ズッカー『都市と広場』 - 建築類型論入門
→陣内秀信『都市を読む イタリア』 - 比較都市空地論
→『建築家なしの建築』、『都市住宅 11の集落・外空間の構造』 - 設計戦略としての空地
→コールハース「ヴォイドの戦略の可能性」(『ユリイカ』2009年6月号、『建築家の講義』) - ジョヴァンニ・バッティスタ・ノッリのローマ図(1748年)
共同スタディ:空地の類型学
参加学生による「空地の類型学」スタディは、以下の都市インフラ=イデア論によるフレーミングを手がかりに「空地性」概念の考察へと展開する。
- Category 1. 公/共/私
- Category 2. 資本/財/所有
- Category 3. 施設/装置/制度
- Category 4. 主体/他者/共同体
- Category 5. 機能変化/移動
- Category 6. 禁忌/留保/放置
設計作品
以下は学生の最終提出作品(一部)と、これらについて講評会で指摘されたコメント。
作品1
- 設計趣旨
- 私は空地性の定義を「管理」という観点で捉えた。都市の空地は管理されていながらしばしば目的と矛盾する。例えば「児童遊園」。私は都内の30の公園を調査したが、ほとんど児童を見かけなかった。児童遊園として管理されながら目的をはく奪されているのであり、その現代的矛盾から「子供のいない児童遊園は空地である」と考え、設計においては、児童遊園と都市が関係を結ぶ方法論を追求した。
敷地は西新宿の住宅街と線形の児童遊園。プログラムは複数の住宅をコンバージョンし「工房街」とする計画である。また児童遊園から遊具が住宅に貫入していくことで住宅街の路地や隣棟空地が公園と立体的に接続し、児童遊園の機能が有機的に地域へ溶けだしていくような計画を提案した。 - 寸評
- 道路をまたいで線状に続く児童公園を核に、公園沿いの既存建造物がつくりだす空地を再構築した作品。既存の木造住宅が織りなす空地を丁寧に見つけ出し、住宅を手工芸の工房に転用することで空地に対しての立ち振る舞いをうまく変化させている。また、路地スケールが残されている児童公園からの展開として遊具を建築言語として取り入れた。再開発を間近にひかえた西新宿に対して、細やかな敷地の読み込みから都市の更新を促そうとする設計態度を高く評価したい。児童公園という「管理」された空地が、この地区の「保存」を可能にしている様は興味深く、児童公園そのものへの積極的なデザインがあればさらに良質な作品となったであろう。
作品2
- 設計趣旨「あめのあずまや」
- 雨傘というのは奇妙な道具である。雨の日に、人の真上に巨大な面を、そしてその下には個人の領域を作る。つまり屋根を作り、それが常に人についてまわる道具であるが、生まれてから今日に到るまでファッション性とステータスシンボルとしての役割がある程度で、ほぼ雨除の機能のみからなる道具である。ビニール傘は雨除機能と生産性のみを抽出したある種の究極の道具だろう。
そのビニール傘を個人の領域を表象する建築として作り替える。
構造としてより建物に近い和傘の構造形式を用い、骨を4本にすることにより家の象徴、方形屋根を模した形にする。
また四角形にしたことにより傘に方向性が生じる。他人の傘の辺と平行になったり、頂点が向かい合ったり、それらが集まってグリッドを作り上げたりといった景色が現れては消える。個人の「家」が自由に動きまわることにより偶発的にまちなみの形成と消失が発生するのだ。 - 寸評
- 空地=意味の発生しない場所、と定義し、意味を発生させるのは様々なモノであると捉えた。最終的に、空地性から傘へどのような論理展開があったか説明が少々不足していたのが惜しい。提出したパネルでは言及されていないが、初めに「空地記号」=そこが空地であるという状況を発生させる何らかのモノや現象(自転車、降雨など)を定義しようとした点が独創的であり、その考察を通じて傘という道具のデザインに至った。傘の下の空間は、一人の人間に与えられる最小単位の空間ともいえよう。傘は神やこの世ならぬものの依り代になり、空間を瞬時に別次元に移す作用も持っている。可動な個人の領域と領域がいかなる関係性を結び、都市の景観にまでつながってゆくか、という幅広いスケールと可能性を秘めた作品。
作品3
- 設計趣旨「A Requiem For The Void」
- 南青山にある一等地において平成12年に建物が壊された敷地が、周囲を囲む塀を残しつつ今現在までの10年間空地性を維持して来た。解放的な周囲の町並みに対して内部への視線を完全に遮断することで保存されてきた空地性は、過去この土地が金銭的なやり取りによって捨てられたことによる怨念によるものであると判断したので、半仮設的な収益型の施設をこの場に建造することで来るべき開発の時への弔いとした。
- 寸評
- 表参道を抜け、しゃれたカフェやブティック、艶めかしい姿のプラダショップを横目に、左に折れたところにある10年以上塀に囲われたままの寡黙な空地。三角コーンが作り出す空間を逆説的に「活性な空地」と捉える独創的な視点は魅力的な敷地を発見させた。台帳による即地的な敷地の解読から紐解いた土地の歴史は群を抜いて魅力的であった。南青山の現在形のコンテクストを加速させるようなプログラム設定−駐車場+ラブホテル−と塀の保存とを二重写しにする行為には、空地の活用と空地の記憶の継承との葛藤が顕れている。設計物と塀とによって新たに生まれた敷地内の空地に対して、より鮮明な意図があれば、相反する行為をつなぐ物語を紡いだかもしれない。
作品4
- 寸評
- 空地を進化論的に分類しようとしたリサーチは秀逸であった。移行期と捉えた銀座の中心街の隙間にインフラを必要としない簡易な住まい方の提案をした。仮設性を全面に出した表現は楽しい。ただ、仮設であることに仮設以上の意味を見出すに至らなかったことが残念。空地の移行期と捉えることと、単に空地に仮設のアクティビティを作ることの差異をより深く意識できると良かった。移行期を迎えた空地そのものが銀座の都市空間を刺激するインフラであると考えて中心の木造民家の再生に集中できれば、両脇の仮設部分がそれのより簡易な姿であることが明快になったのではないか。
作品5
- 設計趣旨
- 東京の戦後住宅地は一時居住者を対象とするアパートなどに更新されていく。
そこで高齢化した元々の住民が最期までを東京で暮らすために、郊外の閉鎖性の高い高齢者施設とは違った形式の、町と連続した生活環境を考えた。町と連続した生活体験を実現するには、建物と隙間により構成される都市構造をもった空間が求められる。
なぜなら、建物間の隙間、すなわち空地は各住居のアクティビティがそれぞれ成立するために必要なヴォイドとして機能し、
また隙間の間隔や使われ方といったものが町の密度感や生活感をあたえ、その町の印象を作り出すからである。具体的には高齢者の生活空間を独立住居により構成し、それが商店街、デイケアの隙間を通して町と自然に連続していく。
そうして生活は隙間から溢れ出し、町へとつながっていく。 - 寸評
- 小規模住宅が密集する田端三丁目に、高齢者の街を創出しようとする提案。街区を取りまく中層棟は、機能としてはデイケア関連施設を集約する一方、ボリュームとしては内側に静謐な空地(広場+高齢者住宅)を生み出す。住民へのインタビューを行い、丁寧に地域の情報を集め、結果としてこの地にふさわしいプログラムにまでたどり着くことができた。外側のブロックを切り分けるスリットの効果や内側の住棟のスタディがやや不足していた点が惜しまれる。
作品6
- 設計趣旨「ほつれる住宅」
- 墨田区住吉には、スリットのような隣棟間空地を持つ木造密集住宅地がある。この空地は、戦後の木造バラックが敷地割りを保存しつつ建て変わる中で成熟したものである。災害時避難路や通学路として機能しながらも非常に閉鎖的なこの空地に注目し、空地を生活の中に取り込めるような、そして空地を明るく開放的な場所とできるような新しい集合住宅を計画した。そのために空地をまたいでいくような細長い住戸とする。そうすることで空地が一つの細長い生活を分節していくような状況が生まれる。一つの住戸が空地を挟んで向き合うことで、建築の境界面を開放的にできる。その結果空地は、内外の光が届く明るい場所へと変化する。そのような住戸同士が上下に重なり、よりたくさんの隣家との関係を持つようになる。空地によって一度ほどかれた住宅が再び絡み合うような、「ほつれる」住宅の提案である。
- 寸評
- 墨田区住吉は戦後形成された密集市街地であるが、グリッド状の細街路と住居間の隙間が時間の経過のなかで、多様で魅力的な線形空地を生み出している。この作品は既存の隙間のもつ特性を継承しながら、空地をまたぐような新しい住戸群をオーバーレイし、断面的にも住戸相互を関係づけることによって、隣接性がさらに濃密化した集合住宅を提案する。グリッドとうねるような曲線の交錯と重畳・貫入が、そこかしこに魅力的な空間を生んでいる。ステレオタイプ化した「敷地」・「住戸」概念の再考を迫る案としても評価できる。
講評会の様子より
2013年01月13日
last modified: 2014年07月23日