伊藤スタジオ2016

伊藤スタジオ2016_モニュメント論_HP_top

写真 / 法華経説話「法師修行図(普賢簿敦勧発品)」柴又帝釈天・題経寺 

……一般にモニュメントは地殻のように幾つかの層を持ち(stratificazione)、最も下のものから一番表面のものまで
そのすべては価値を有し、敬われるべきであると断言できる

カミロ・ボイト
(横手義洋『イタリア建築の中世主義』2009)

……人間は建築がなくても、
生活したり、礼拝することはできた。
しかし建築なしに過去の記憶を蘇らせることはできない。

ジョン・ラスキン
(杉山真紀子訳『建築の七燈』「第6章 記憶の燈」1997)

「モニュメント論 2016年度伊藤スタジオ」

趣旨

  1. モニュメントの退潮
     建築史はある意味でモニュメントの歴史ということができる。モニュメントは時代や地域の芸術・技術・文化の高度な到達点を示していたから、その様式的変遷が建築の歴史のメインストリームと見なされてきたのは当然のことであった。
     しかし、建築のモダニズムはモニュメントにまとわりつく権力性や顕示欲を鋭く糾弾し、建築が本来的に有するモニュメント性を否定する傾向にあった。とくに建築が政治的プロパガンダの道具として利用された1930年代の全体主義的な時期は負の歴史として捉えられてきた。大学の建築学科の設計教育で「モニュメントを設計せよ」という課題が時代錯誤的であり、おそらくほとんど出題されないのも、そうした歴史的な経緯による。
     建築はいつしかモニュメントよりはポリティカル・コレクトネスの表現へ、崇高よりは調和を重視する社会的要素としてその存在意義の重心を移動させたのである。
     
  2. スタジオ主題の推移
     さて、伊藤スタジオでは2009年度以来、都市と建築を媒介するキー概念として、広義の「インフラストラクチャー」を取り上げてきた(水と記憶、空地の類型学、小規模場所論、東京の区役所)。
     その思考的展開から浮上した「領域= テリトリオ論」[1] へ接近するための一つの切り口として「荒涼地論」がここ2~3年の重要テーマであった(荒涼地論、島嶼論、砂漠論)。人間の居住を容易に受け入れない荒涼地には、人々の居住や活動の場として広がる豊饒な領域の意味を逆照射するヒントが満ち充ちていた。—— [1] 伊藤毅「領域史の視点、領域史の方法」(『建築雑誌』2015年5月号)
     
  3. 領域から生まれたモニュメント
     一方、領域には太古の昔ストーン・ヘンジやモノリスなどモニュメントの祖型が誕生し、歴史時代が始まると人間による大地への介入が多様なかたちで展開されるなか、テリトリオには時代の政治・芸術・技術・文化の結晶体として、領域から得られる素材や諸力を総動員してモニュメントが建てられるようになったことは見逃せない。
     
  4. 領域の特異点と時間の積層
     モニュメントは一度建てられると長い時間の経過にさらされることになるが、永続的な時間の堆積はモニュメントの表情や意味に各時代の彩りと陰影を付加してきた。すなわち本スタジオでは旧来型の単体モニュメントを取り扱うのでなく、「領域のなかで歴史的時間を積層させた特異点としてのモニュメント」という視点を導入したい。
     
  5. 結構と記憶装置
     インフラから領域へ、そして領域の潜在力をかき集めて可視化された結構(テクトニクス)として、あるいは領域の記憶装置(メモリア)としてのモニュメントという仮説をスタジオで共有しつつ、各自が考えるモニュメントを現代的観点から自由闊達に提案しようとするものである。
     

課題

モニュメントの創出(学部生対象)

 設計対象となる一定の領域(地球上の家族、近隣コミュティ、町、地域、…国家または海洋・島、荒涼地なども可)を設定し、その領域をかたちづくる組成と歴史的変遷を検討したのち、特定の場所(複数であってもよい)にみずから定義する「モニュメント」を創出すること。モニュメントは設定した領域と呼応しつつ、一定の永続性を有するものとする。
 提出物は手描きスケッチ・図面、彫塑的模型(いままで試みたことのない素材を使う)、写真などの表現を中心とする。

モニュメントとの対話(大学院生対象)

 既存の建築(群)のなかでみずから定義する「モニュメント」を選び、その成立経緯と建築的特徴(構造、材料、意匠など)を詳しく分析しつつ、これを単体の文化財というよりも、一定の領域内に長い時間をかけて継続してきた特別な建築として位置づけ直す。モニュメントとの不断の対話を繰り返すなかで、現代的視点からモニュメントへ関与する方法を考え、建築的提案を試みる。
 いわゆる保存・再生という観点も必要だが、思い切った介入もありうるものとする。提出物は手描きスケッチ・図面、彫塑的模型(いままで試みたことのない素材を使う)、写真などの表現に加えて、かならず大縮尺の矩計断面を作成する。

履修条件

とくになし。
ただし履修希望者は事前に以下を読んでおくこと。
・「記憶」(エイドリアン・フォーティー『言葉と建築』2006年 所収)、
・史学研究会会誌『史林』「【特集】モニュメント」(第91巻 第1号 2008年)所収の論文ひとつ

指導

伊藤毅(教授)、山口晃(画家)、佐藤宏尚*(建築家)、初田香成(助教)、
後藤昌子(建築家・学術支援職員)、髙橋元貴(学術支援職員)、
小南弘季(TA・博士課程)、海老原利加(TA・修士課程)

*佐藤宏尚 略歴
 1972 兵庫県加古川市生まれ
 1996 東京大学工学部建築学科卒業
 1998 東京大学大学院修士課程修了
 1998 プランテック総合計画事務所入社
 2001 佐藤宏尚建築デザイン事務所設立
 住宅建築賞、グッドデザイン賞、D&AD Award、北陸建築文化賞、Design for Asia Awardsなど、国内外での受賞歴多数。

履修者作品と寸評

≪ おくりび ≫

寸評
モニュメントのもつ「不変性」に注目し、とりわけ自然、その中でもすぐに消えてしまいうる「火」を燃え続けさせることによって、人の営みの継続性をも表そうとしたのがこの作品である。さらに、「死」という人類発生以来存在し続ける静なる事象を、「火」という人類発生以来不可欠な動なる事物と重ね合わせることで、最も原初的な「人類のモニュメント」を達成している作品ともいえる。
燃え盛る火の中から不死鳥のごとく生まれ出づる建築は、このモニュメントにふさわしく、美しく力強い映像を喚起させるが、その構築方法に思考が偏り、燃え続ける火と死を悼む空間の演出を設計しきれなかったことが悔やまれる。動と静、はかなさと不変性の中に鋭い美しさを生み出す設計をいつの日か達成してほしい。

≪ 海の記念碑 ≫

寸評
2011年3月11日、悪夢のような大災害を経験した東北の臨海部では、当面の明確な目標も定まらないまま盛り土がなされ、海と陸は対峙したままである。本計画は東北の海沿いの一敷地を選び、そこに海と浜が交錯しつつあらたな関係を結び合うような場を創出する。球形の天井には鋭角状の裂け目があり、そこからは天空がのぞめるとともに、暗い堂内へ一筋の光が差し込む。外部と内部、海と陸、空と大地の二項対立を調停するかのような場の提案はモニュメント論の本質的な側面を掘り下げたプロジェクトとして評価できる。内観パースはとても魅力的に描かれている。模型などに手が及ばなかったのが残念である。

≪ 国分寺階段 ≫

寸評
東京の武蔵野台地の淵にある国分寺崖線。10〜20mほどの崖地が、延長約25kmにも及ぶ。だが、その姿は思いのほかダイナミックでなく、明確に意識できるものではないらしい。この作品は、国分寺崖線上にある住宅地に、段差を掘り、国分寺崖線を顕在化し、身体的な体験を誘発させようとするものである。その発想はダイナミックかつ独創的で、街路を中心にグリッド状に彫り込み、段差を際立たせている。この不条理なこと極まりない地形により、視覚的にも身体的にも断崖は記憶に刻み込まれる。さらに、その段差に利便性を求める生活が次第に被さり、国分寺崖線の新たな風景となる。
提案は、崖線の地形を再現するのではなく、新たにグリッド状の段差で侵食し、大地が顕される。崖線全体は計画するには広大すぎ、計画地を絞り元の崖線状にすればただの階段になる。計画地の大きさに応じ、崖線の成り立ちと相似的に段差を顕在化したことが、この作品に空間的な面白さと独自性を与え、魅力的なものにしている。
惜しむらくは、作品の完成度を十分に高めるまでに至らなかったことである。グリッドの形状、段差の構造(素材・表情)、ヒューマンスケールまでの空間の作り込み、そして生活が被さった風景、案の完成度を高めることで、さらに飛躍的に魅力的になる可能性を秘めている。

≪ 都市の埋葬 ≫

寸評
都市の終焉について考えた作品。栄えた都市もいつかは必ず滅びる。20世紀後半から中東でも随一の繁栄を誇るメガロポリスとなったドバイが舞台である。ドバイという町の出発点であり、今でも旧市街地として都市構造の中心を担う入り江、「ドバイクリーク」に、死者の埋葬地を計画している。
ドバイクリークは現在埋め立てが進んでいる場所である。計画地は人のみならず、解体された建築廃材が埋め立てられていく、都市の埋葬地でもある。人とともに都市も埋葬され、ドバイが終焉を迎える頃には、かつての都市領域を示すモニュメントがクリークの地にたちあらわれるというストーリーはたいへん面白い。小摩天楼のような祈りの塔を基点に設けながら、その基礎を紋様として地表に刻み、一定の永続性をもつ埋葬地を定めた本計画は、死者の埋葬方法にはあまりこだわりのないドバイの人々にも受け入れやすい、日本人ならではの提案ではないだろうか。
要となる紋様(基礎)の配置計画や、幅、長さ、地表面にあらわれる形状には、もう少し緻密なスタディを行いたい。視覚的な美しさのみならず、埋葬量を加味した機能性や計画性、構造の合理性を加えた提案ができれば、より説得力のある設計となる。

≪ Materialization ≫

寸評
デジタル技術の進歩によって、人間が肉体的感覚を失っていくことに半鐘を鳴らそうとした作品である。肉体的感覚そのものこそがもっとも深い部分に存在している建築という行為にとって、時代に問わず常に問われ続けなくてはならない問題である。
ところで、この提案の中では、肉体的感覚を取り戻そうとする集団が自らレンガを積んで住居を建築していく。提案者は建築家として、その完成予想図を数段階に分けて設計したのである。レンガを用いるという案には少し平凡さが感じられるものの、提案された建築の形状は異彩を放っており、端正に鉛筆で描き込まれたドローイングも見応えがあるものに仕上がっていた。建築図面のみで表現するといった姿勢も、本案の意味をよく理解してとられたことであると考えられる。
本提案は肉体的感覚を獲得するといった意味において、非常に真っ向から建築という課題に向き合ったものであった。提案者自身が、純粋な形の設計という行為によって肉体的感覚を獲得できたというべきであろう。肉体に刻み込まれた感覚は、意味を生み出し、繰り返される。提案者がそのことを忘れなければ、自ずと優れた建築が生み出されていくと考えられるのである。

≪ MEMORIA ISLAND ≫

寸評
この島嶼都市は、植民地であろうか。断崖のつづく海岸線に穿たれ、大地と融合しながら、強引に整形された運河沿いを内地へとのびる港湾施設群。都市建設の際には、大量の奴隷たちが使役されたのだろう。どうやら初発の収奪からはずいぶんと時が経ち、都市文化も成熟=クレオール化がすすんでいるようである。
“新大陸”のように“再”発見されることでモニュメントが創造されるとした空想的プロジェクト。こうした思考実験は、他に類をみない意欲的な設計プロセスであった。パノラマで描かれた荘厳たる都市鳥瞰図、地理情報をふくむ島の二枚の地図には、誰しもが目を見張り、知的好奇心をくすぐられる。しかし、その一方的な無邪気さからは何を見出しえるのか。また、CITY=MONUMENTと定義したとき、「東京」はいかなる領域性をもった“都市”として捉えられるのか。作者なりの誠実な回答が不可欠であっただろう。

≪ 真白になれないわたしたち ≫

寸評
モニュメントが記念すべき対象として、社会問題について真摯に考え、取り組んだ作品である。築地移転後の敷地に精神疾患患者の更生施設が建設される。果たしてこの土地は東京のエッジとして周縁的な役割を果たすのみだろうか。観光都市として東京が発展するこの時代、有数の観光地、銀座の隣に位置するこの土地は、決して疎外された周縁部としては存続し続けられないだろう。一般大衆の渦中にさらされた時、患者と彼らの関係性に新しい光が見出せるはずだ。
患者と一般の人々が共有する空間、公園の計画や、更生施設の後にモニュメント化した建築と広場の姿など、具体的なイメージの提示が少なかった点に物足りなさが残る。ここで見つけた問題点を胸に、広い視野や躍動感のあるイメージを持って設計活動に臨んでほしい。

≪ 都市の遺構/再生の塔 ≫

寸評
横浜の栄枯盛衰を刻むモニュメントの計画。3年毎の開港記念日に、時勢に応じた量のレンガを積んで、塔をつくりあげていく。災害等によって塔が崩壊した場合には、その残骸には手を触れず、改めて外周に塔をつくり直すようにした計画案がよい。
都市が存続する限り、永続的にレンガを積み続け、都市を塔に刻み続けるストーリーを下支えしている。
惜しむらくは、実際の塔の設計内容には一見して永続性を感じられないこと。
外周に広がるにつれて、塔の壁厚や形状が同じスケールのままでは維持できないのは明らかである。港湾を一望する歴史ある丘に塔はどのように展開していくのか、配置計画についてももう少し検討を重ね、より説得的で、魅力的なデザイン展開を期待したい。

≪ Walled Town Fethard ≫

寸評
アイルランドの小さな町、フェザードは、アイルランド特有の線形の単純な構成をもつ街村であるが、その歴史は中世にさかのぼる。また小都市を囲繞する市壁がよく残存している。本計画はアイルランドの小都市に積層された歴史的な時間をマーケット・クロス、教会、都市壁など歴史的な要素と絡めながら可視化、再構成した案である。どのような小さな都市にもかならず固有の歴史がある。本計画はこうしたごく些細な事実を丹念に拾い上げ、都市のメモリアへの共感を示した作品である。
一方でこの都市への個人的な思い入れをさらに普遍的なモニュメント性へと昇華するには、単にこの都市の歴史的要素をつなぐだけでなく、ここに長い時間住み続けてきた無数の人々の深層への共感を想像力で補う必要があった。ただし、それは決して容易なテーマではない。

≪ LA GALLERIA D’AGUA ≫

寸評
都市の限定された地域に透過性の屋根をかけるといった提案である。その建築的操作は単純であるが、屋根はその大きさ、美しさゆえに周囲に対する明快なモニュメントとなる。この建築は「みずうみ」であるといえるだろう。本提案の肝となるのは、屋根が覆い被さる範囲である。この屋根は1つの町を飲み込むほど巨大であるが、その大きさには限りがある。その「制限された巨大さ」によって、この大屋根は建築であることを放棄せず、物質的なイメージを持つことができるのである。
そして限りある屋根の内側には、「水中」と「水面」の2つの分断された空間が創出される。それは、コンテクストによる空間とコンテクストをもたざる空間であり、ドローイングにはその情景が美しく描き出されている。しかし、この透明な巨大屋根によって生み出される空間は、決して単なるユートピア的な美しさをもっただけのものではないはずである。巨大である・限りがある・透明であるといった3要素によって構成される新たな建築空間の意味がもう少し考えられていれば、この提案はますます興味深いものとなっていたであろう。

≪ Extend of Memory・Create A Memory ≫

寸評
モニュメントは記憶と一体化し、そこに人々の生が存在する中で、息づいていく。それは歴史的建造物であれ、新規性の高いものであれ同様である。この作品の対象となった中銀カプセルタワービルもその系譜に入れられよう。その建造物を見て育った世代にとって、それらは自らの人生や、街そのものの記憶の象徴である。そうした思いは、この作品のように既成の建造物に新たな形態を導入したり、近年注目を集めている同建築物におけるリノベーションを進める動機となり得る。
中銀カプセルタワービルを設計した黒川紀章は、そのユニットを入れ替えることで建物の代謝(metabolism)を生み出し、同建築物をメタボリズムの象徴とし得たが、この作品ではユニットを結合させるアイデアを取り入れ、また新たな代謝の方法を提示している。そうした視点は単に芸術性や象徴性の追求に止まらず、現代を建築史の一部分と捉え、建造物だけでなく発想自体の代謝を高めていく表れでもある。その印象をより具現化するものとするため、模型を用意できたならば、この作品は一層の評価を得られたに違いない。

≪ 都市の痕跡 ≫

寸評
江戸—東京は、都市に内包されてきた多様な「明地」を蕩尽することでメガロポリスを維持してきた。江戸古町に存在した「会所地」を、再構築されたヴォイド=モニュメントとして蘇らせた作品。
敷地は、銀座(新両替町)。ガラス面の床越しにうかがえるのは、埋蔵された町人地の貴重な遺構のようにみえる。しかし、80年代以降の乱開発を経たいま、町方中心部における遺跡の残存率はとりわけ低く、近世江戸の遺構はまったく出土されない可能性も高い。いやむしろ、近代以後の攪乱層をまとった穴こそが、いくどもの「地形」を繰り返してきた現代東京の遺跡なのかもしれない。硬質なタッチでまとめられた平、断面図やパース、粘土とコンクリートで造られた模型は、上に述べた本作品の雰囲気を巧妙に伝えている。
ところで、現代東京に再生された「会所地」とは何か。都市史的題材をテーマとしただけに、より深い敷地分析や都市サーベイをふまえたモニュメント論に対する作者なりの問題提起が欲しかった。

≪ 都市の痕跡、或いは化石 ≫

寸評
SHIBUYA109の鋭角なエッジに毅然とそびえるシリンダーは、渋谷そのものを象徴している。だが、雑居ビルがひしめく渋谷駅周辺も巨大な再開発計画が広範囲にわたり進行し、姿だけでなく、渋谷の文化までも変わろうとしている。共に渋谷らしさを牽引してきた渋谷パルコの建て替えが決まり、SHIBUYA109もファストファッションの台頭により、往年の魅力を失いつつある。本計画は、渋谷の核といえるSHIBUYA109のシリンダーを、堆積したコンクリートにより化石化し、モニュメントたるに相応しい永続性を与える作品である。
敷地のポテンシャル、これまで果たした象徴性、進行する渋谷性の喪失、今このタイミングでSHIBUYA109をモニュメントの題材に着眼したことが秀逸である。さらにネガポジを反転しながら化石化し、シリンダーに永続性を与えつつ、誕生するヴォイドに新たな価値を創り出そうという試みも、作者の優れた感性と、論理的思考、造形力をうかがわせる。
十分に魅力的な造形であるが、この新たなシリンダーが、渋谷のモニュメントとしてどのように存在していくのか、その姿を具体的に想像させるまでには至っていない。意義がまだ曖昧なマス内の空間、ヴォイドの空間的な魅力、周辺との関係性、これらを突き詰めることで、その姿は自然と浮かび上がってくるのかもしれない。

≪ ENDLESS THRIVE ≫

寸評
アングラ文化の発信地でありながらこのまま朽ちていくと思われていた新宿・ゴールデン街を題材に、スケール感と雰囲気を失わずに記憶を受け継ぐことを提案した作品。街区のわずかな隙間を発見して建てられた支柱や長円形の仮設店舗、軽やかに渡された空中廊下といった要素は街区の雰囲気をうまく取り込んでいる。また、店舗の個別の更新過程を考慮するなど時間を組み込んだ提案になっている点も高く評価できる。
ただゴールデン街でスケール感を失わずに更新させるという提案は、卒業設計などでもある種定番の題材でもある。その点でこの作品が独自性を出すとしたら、モニュメントというテーマにどう向き合うかにあったとも思われるが、生活の視点から都市の記憶を受け継ぐという主張はまだナイーブにも感じられる。例えば、この主張ではたして営業者や権利者を説得することはできるだろうか。

≪ 流動の里程標 ≫

寸評
浮遊し自意識過剰にも見える東京ビッグサイトを題材に、四本の支柱を継ぎ足すという操作と、100年という時間スケールおよび渡り鳥による播種という過程を与えることで、大地に根ざしながら改めて屹立させようとした試み。「領域のなかで時間を積層させたモニュメント」というスタジオの趣旨によく応えるものであり、作品は現在の建物よりよっぽどモニュメント性を獲得することに成功している。とくに炭(?)で執拗に書き込まれたドローイングは不穏な黙示録的なイメージに満ちた迫力のあるもので、磯崎新の孵化過程をも思わせた。
ただ建築・造形としての提案には若干の物足りなさを覚えたのも事実である。支柱を伸ばす以外の操作が時間と自然に委ねられた点で仕方ないかもしれないが、東京湾の埋め立てを陸続と続けて来た人々の姿をどのように考えるかがあまり示されていないのも気になった。