伊藤スタジオ2015

写真 / Mario Giacomelli, la notte lava mente 『夜が心を洗い流す』

写真 / Mario Giacomelli, la notte lava mente 『夜が心を洗い流す』  


? Le desert est beau, ajouta-t-il…
Et c’etait vrai. J’ai toujours aime le desert. On s’assoit sur une
dune de sable. On ne voit rien. On n’entend rien. Et cependant
quelque chose rayonne en silence…
? Ce qui embellit le desert, dit le petit prince, c’est qu’il cache un
puits quelque part…

(Antoine de Saint-Exupery, Le Petit Prince, 1943)


「砂漠は美しい…」彼は続けた。
それは本当だ。ぼくだってずっと砂漠を愛してきたんだから。
砂の丘に腰をおろす。何も見えない。音ひとつ聴こえない。でも何かが静けさのなかで光を放っている。
「砂漠が美しいのはね、」王子さまは言った。「それはどこかに井戸を隠しているからだよ…」

(A. サン= テグジュベリ、『星の王子さま』)

「砂漠論 2015年度伊藤スタジオ」

趣旨

 地球の陸地のおよそ4分の1を占める砂漠はあらゆる生を拒絶する不毛で凶暴な荒れ地である。湿潤で温暖なモンスーン地帯に住むわれわれ日本人にとって、砂漠はもっとも遠い存在であって、想像力の彼方にある異界である。
 本スタジオでは建築・都市の分野から考える糸口さえ無さそうな「砂漠」をその歴史・地理・文化の観点から捕捉し、都市建築史の「都市領域論(テリトリオ)」の射程に引き寄せることがまず第一の目的となる。
 第二に砂漠は確かに人間の居住を容易に許さない領域であるが、たとえばエジプトのコプト教徒の砂漠のなかに孤立して立つ修道院、砂漠を移動する遊牧民の隊商宿やオアシス、墓地や儀礼の場など、砂漠は人類の居住史のなかで特異な場を提供してきた。イスラーム教は砂漠の存在なしには生まれえなかった唯一神教であったし、イスラーム地域に分布する厳しい自然から囲い取られた中庭やオアシスは外部に砂漠を有していたことの証である。
 第三に砂漠は都市の無味乾燥な人工環境や絶滅した都市の廃墟の隠喩としてしばしばわれわれのイメージを喚起してきた。人類と大地との契約はそれぞれの自然環境のなかで個性的な関係を結んだが、荒れ地におけるドルメンやモノリスはその原初的なモニュメントとみることができる。荒撫地は技術の力で居住可能な土地へと征服されたかに見えたが、それはつねに荒れ地に戻る潜在性を内包しており、年を追うごとに確実に進行している地球の砂漠化もそのひとつのあらわれにほかならない。
 以上の観点を出発点としながら、それぞれの「砂漠論」を思考し、「砂漠性」をみずから定義しつつ、そこから導かれる「造形物」あるいは「場」を創出することを試みたい。

スタジオの進め方

  1. 「砂漠」へ:砂漠に関する地学・地理・歴史・宗教史等の文献購読
  2. 砂の風景:鳥取砂丘または中田島砂丘(浜松)見学会、流砂・砂の理解、写真演習(関健一氏指導)、絵画演習(山口晃氏指導)、小学校校庭の「砂場」見学会、砂を使った造形演習
  3. 世界の砂漠:サハラ砂漠ドキュメンタリー、映画「眼には眼を」(アンドレ・カイヤック監督、1957 年)ほか、写真集、文学(安部公房『砂の女』、ル・クレジオ『砂漠』、フローベル『聖アントワァヌの誘惑』など)表現演習
  4. 荒地としての砂漠:都市領域論(テリトリオ)のなかの砂漠など理論構築演習
  5. 設計演習:プログラムは自由。サイトについては、以下のいずれも可。
    ①実際には行けないが、特定の砂漠の一定地域、②日本の砂丘・砂浜・荒れ地、③都市のなかの隠喩としての砂漠、④架空の砂漠、⑤サイトという概念の再考、ほか
  • 提出物としては、砂漠性を表現する絵画、彫塑的模型、写真をかならず含むものとする。
  • 定義した砂漠性及び設計物を、都市領域論(テリトリオ)として明解に記述すること。(修士生)
  • 矩計図などを用いて、設計物の材料・工法・施工方法などを具体的に示すこと。(修士生)

指導体制

伊藤毅・初田香成・畑中昌子・高橋元貴・寺田慎平(TA)・小南弘季(TA)
関健一氏(写真家)、山口晃氏(画家)、ほか

履修条件

とくになし。
ただし履修者は事前に和辻哲郎『風土』のなかの「砂漠」の章、工藤庸子『砂漠論』(左右社、2008 年)、花田清輝「砂漠について」(『花田清輝評論集』岩波文庫、1993 年所収)を読んでおくこと。

履修者作品と寸評

≪ 都市の蜃汽楼 ≫

寸評
雨の日に水をまとい、蜃気楼のように立ち現れる塔を設計した。固体/流体という砂のもつ対蹠的な特質から砂漠の流動性を見出し、それを都市における土地/場所の問題系へと変奏させた。敷地は西新宿四丁目。江戸時代、そこは十二社池がひろがる遊興の地であったが、度重なる埋立と開発によっていまはその面影はない。かつて水平にひろがっていた池の水面(みなも)が、超高層ビルを背景に、水の塔として転生した姿を描いたドローイングはとても甘美的で、観るものに深いかなしみを与える。その一方、街角にひっそりと置かれた集水装置のたたずまいが、どことなく野暮ったく感ぜられるのは何故だろうか。
リサーチから設計までの一貫した論理、砂そのものの観察から導き出されたユニークなデザイン、そして、緻密な建築的ディテイル。本作品の完成度は目を見張るものであった。これはひとえに、スタジオでのひとつひとつの課題を丁寧にこなし、それらを余すところなく最終成果物へと集約させることができた設計者の力量にあろう。

≪ 砂漠に点を打つ ≫

寸評
現代都市の経路に砂漠性を見出し、その砂漠性を回復させることで現行都市計画のオルタナティヴを示そうとした作品。砂漠においては選択したルートのみが「道」となり、その他は「地形」となるが、GPSなしには目的地に向かえない現代都市も実は同様である。現代の巨大都市では全ての道は等価であり、それ以外の風景は記憶に残らない点でもはや砂漠と変わらない。そこでは従来の固定的な動線を作る都市計画に代わり、点と点の間に複数のネットワークを見出す解法が有効なのだ。
以上のように本提案はスタジオの趣旨に対し、きわめて論理的に向かい合うものであり、優れた現代都市批判にもなっている。とくに資料集で示されたリサーチ結果や東京を砂漠に見立てた模型は見事で、単にリサーチするだけでなく、その結果を手を動かして魅せるという点までを含め非凡な才能をうかがわせた。
ただこの解法に説得力を持たせるための提案はやや十分ではなかったかもしれない。門だけでなく、ランドスケープから小道具に至るまで様々なレベルでの提案も可能であり、また、外来者が実際に生活道路に侵入した際に、その影響を緩和させたり分散させたりする措置などプログラムを作り込むことで、提案の実現性を高めることができたように思われる。

≪ 空地 そらち ≫

寸評
「砂漠では空と大地が融合している。人々は雨水を待ち望み、夜空の星を道しるべにメッカの方向を仰いだ。」
リサーチから抽出した砂漠の空間性を、建築として見事に具現化した作品。敷地不詳ではあるが、都市のどこであっても、この建築の出現により分断され隠蔽されていた空と大地が解放され、同時に都市のもつ潜在的な砂漠化の可能性が示されるという、その試みは成功するだろう。
パネル表現にはもう少し工夫が必要。一見して似たようなコンセプトスケッチが多いので、もう少し数を絞り、代わりに文字や寸法を書き込んだ建築図面にスケールを上げて紙面を割きたい。原初的建築であるからこそ文字でもイメージ図でもなく図面によって伝えられることがあるし、詳細図にも耐える、伝えたい魅力に十分に富んだ設計だった。コンセプトもスケッチだけではなく写真やコラージュに代えると、より多角的に表現できるだろう。

≪ 都市の僧窟 ヒカリを求めて ≫

寸評
コプト教修道院やカッパドキアの地下洞窟に通じる空間を、歌舞伎町の雑居ビル街に導入することで、人々の再生をもたらそうとした作品。砂漠において一筋の光がもたらす圧倒的な効果に関する分析や、閉鎖的な雑居ビルに囲まれ内部に空隙を持つ対象街区の発見、ナイル川と靖国通りに共通する境界性への気づき、砂漠の洞窟を彫塑的に表現した模型などなど魅力あふれる作品である。とくに光の射し込み方にも様々な類型があり、ビルの穿ち方を多様に操作することで、それぞれの効果を示した考察には教えられることが多く、その写真も効果的であった。
ただ一点不満があるとすれば、それはここに集まってくる人々がどのような問題を抱えており、彼らが降り注ぐ光によってどのように再生されるのかというプログラムの根幹に関する説明が若干弱い点である。個々の提案がよかっただけに、この点をもう少し掘り下げられていれば、作品全体をより有機的に理解することが可能になったのではないかと惜しまれる。

≪ 都市にキャラバンサライを挿入する ≫

寸評
砂漠のキャラバンサライに着目し、それを取り巻く建築物の語源とイメージから議論を展開していくことによって、恒久的でもなく仮設的でもない建築の在り方としての新しい「駅」の設計に取り組んだのが本作品である。アラビアのヒジャーズ鉄道においてキャラバンサライと鉄道の調和を設計した後に、日本における可能性を考えていくといった過程は見事であった。だが、日本に導入する過程において、「駅」という言葉が独り歩きし、論点が砂漠から遊離してしまったことは惜しまれる点であろう。砂漠における駅のもつ意味と、それ以外の環境におけるものとの相異を考えることで、砂漠により近づくことが出来たかも知れない。
最終的には上野駅のホームを取り囲む空間に敷地を定め、そこにロの字の極めて厚い壁を挿入することで、駅空間を通過点から滞留する場へと変質させることを提案した。単なる駅ビルの設計とは異なる力強さと尊厳を手にすることが出来ているのは、この提案に遠くキャラバンサライでの人々の営みへの憧憬が感じられるからではないだろうか。もう少し設計を具体的に進めて行くことで、周辺の都市との関係まで考えることが出来るとなお深みのある設計になっていたであろう。

≪ 地下劇場 ≫

寸評
半径1kmの円に内接する正三角形を底辺にもった、ある意味では薄くさえ感じられる三角錐の巨大な空洞を、東京のどことも知られぬ地下において設計した。この巨大な空洞の中を人びとはどのように歩き回るのか。砂漠の砂嵐が修道士たちの心身の禊を行うように、この空洞は、都市に生きる我々の無意識を解放する。三角錐の天井を支えるのは自意識と無意識を接合したかのように配置された無数の柱。そしてここに迷い込んだ人間がそれらの柱間を彷徨した先に遭遇するのは、三つの円形劇場である。この計り知れない不条理と違和感において設計者の真意が垣間見られる。
この作品はけっしてアイロニカルなものとも技巧的なものとも言えないが、そのただ漠としたシンプルな造形と無作為かつ丁寧に配備された柱群、そしてある種悲劇的な抑揚を与えている劇場、その三つによる構成が、見るものの無意識の領分へと浸食してくるのではないだろうか。また、初期に考案していた襞の塊のようなもののドローイングが、最終的には巨大な三角錐へと落ち着くまでの背景に、建築設計というものの困難がうかがわれた。最終成果物には少しもの足りなさを感じるところがあったが、この設計によって脳内にざらつきを残されたように感じているのは私だけではないだろう。

≪ The Praying Garden and the Farewell Woods ≫

寸評
とある村と深い森、ここには明と暗、光と闇、生と死の単純なコントラストを超えた都市領域の切断がある。日本には砂漠という異界は存在しないが、深くて暗い森は人々にとって畏怖すべき彼岸として存在してきた。本作品はこの森のなかに葬祭・祈りの場を創ることによって、切断線のなかに生と死、あるいは現世と来世をつなぎとめるメモリアの一瞬を演出する。
砂漠のもつ底知れぬ他界性をごく普通の地方の村の領域に重ね合わせた感覚はやや唐突にみえるが、むしろナイーブで洗練されているといってよい。葬祭のための建築、そこに至るシークエンスも丁寧に設計されている。模型も魅力的である。

≪ 砂漠化する都市において新たな領域を生成するための三つの建築的介入 ≫

寸評
東京の首都高速に「隠喩としての砂漠」を見出し、場所性を暴力的に破壊しながらも「インダストリアル・ヴァナキュラー」と呼ばれるような固有な風景をうみだしている高速道路を肯定的に捉えるために三つの建築的介入をおこなうという提案。敷地は一ノ橋ジャンクション周辺、古川地下調整池が建設中の三角州状の空白地帯。三本の高速道路、大江戸線と南北線、渋谷川が複雑に交錯するこの地域に、川沿いの公園、ペデストリアンデッキ、見張り台を兼ねた調整池を設計した。
モニュメンタルな調整池と川に対面した憩いの場である公園の空間に、錯綜するペデストリアンデッキとそれを支える柱が挿入されている様子は、彼の高速道路に対するアンビバレンスな感情が現れているように思え、印象的である。
彼によると道路がもたらす都市の砂漠化には
1.高速道路上の空間そのもの / 2.道路開発による場所性の剥奪 / 3.土木構築物に包囲されることでできる空白地帯
という3つのパターンがあり、このような分析からのプログラムの決定、豊富なイメージ、素材まで書き込まれた詳細断面図は彼の設計の説得力を支えているが、本提案では「1.高速道路そのもの」への介入が足りないようにも感じ、その点においてあくまで局所的な提案にとどまっているとも言える。ドライバー側の視点にも立つことで、より都市への積極的な介入、都市領域論からの提案ができたのかもしれない。

≪ ヘテロトピア ≫

寸評
この作品は中国遼寧省北部に位置する、撫順市でのプロジェクトである。かつては炭鉱都市として栄えていたこの町には、露天掘削によって生まれた二つの巨大な穴が遺産として残されている。深刻な地盤沈下や地下水の沸き出しによる泥沼地化、有毒ガスの発生によって人間の土地ではなくなっていく。その様な状況を砂漠化と捉え、そこに地域の博物館を設計するという提案であった。撫順市を訪れた人々は、この博物館を巡ることによって、町の歴史を追体験するとともに、荒廃していく炭鉱都市の在り方を考えることができるという。
浮基礎を用いることで、その不安定な地盤に応答している点に注目すべきである。また、その形態は、ぬかるみの上にひたとしがみつく生き物のような危うき息づかいを感じるものであった。これは、この土地を失うまいとする人間の最後の砦であるとも言えるだろうか。しかし、建築の形態は魅力的であるにしても、そのプログラムは体験型博物館と、少し淡白にすぎる。なぜ、すでに荒廃してしまっているにも関わらず、この土地を見放さない人間がいるのか。その問いにまで踏み込むことで、真にこの「砂漠」に必要とされる機能をもった建築を創造できたかも知れない。

≪ Shelter for a Community ≫

寸評
無味乾燥とした砂漠と災害により荒れ果てた市街地とを重ね合わせ、そこで生活をはじめるためのシェルターを提案する作品。砂漠を転々としながら暮らす遊牧民や流浪者の住まいを手がかりに、持ち運びが可能で、竹で組み立てられる住居ユニットを考案した。
本作は一見すると、巷に溢れかえった仮設住宅計画のようにもみえる。しかし、このプロジェクトでは、家族や個人がそれぞれひとつのユニットを持ち、彼らが自律的に住み処をかたちづくっていく姿を描こうとしている。災害ユートピアはかりそめのものでしかないが、このユニットは、地域コミュニティを下支えするポータブルな建築的装置=インフラとして機能するものになり得るのではないだろうか。
さまざまな竹の組み方・縄の結い方を描いたスケッチは興味深く、構成的に描かれた手書きの図面類にも好感が持てる。ただし、竹を芯々で組み上げる構法や部材端部の処理などにはやや疑問が残る。竹という材料の特質を活かし、中国的な鳶の技術からの引用や独自の構法的な工夫があれば、より説得的な作品になっただろう。

≪ when the dune appears in the city ≫

寸評
紋切り型の都市性や砂漠性といったものの曖昧さをアイロニカルに批判するために、都市性と砂漠性の中間概念として、「砂丘性」を提案し、「砂丘性」を有する建築を都市にうみだすことで、都市における都市性と砂漠性とを同時に経験させる試みであると受け止めた。
彼は「砂丘性」を「瞬間的なシークエンスを持つ舞台装置」と定義し、それを地下鉄のネットワークに見いだす。敷地は青山通りの地下に位置するプラットホームで、対面式ホームに電車が到着した「瞬間」に、ホームは砂丘と化し、彼の提案の中で砂漠性を有す地下空間はその対称性を維持したまま地上高くまで伸び上がり、門型の形状となる。
「砂丘性」の発見は『砂漠論』を設計理論として展開する際には非常に有効で、ホーム内の対称性を表現した怪しげなイメージや、地上に飛び出した砂漠を表現した模型は魅力的である。ただ「瞬間的なシークエンスを持つ舞台装置」を十全に表現したとは言えず、例えば、ホームドア以外の境界装置にももう少し目を配れれば、より踏み込んだ「砂丘性」の建築的提案ができたのではないだろうか。今後、より多様な視点を提供するような「砂丘性」の提案を期待したい。

≪ APOCALYPSE Kroran ≫

寸評
滅びた文明は何を啓示しているのか。
敷地は中国タクラマカン砂漠でシルクロードの要衝として栄えながらも衰退した楼蘭文明の跡地。地球資源を食いつぶしながら栄枯盛衰を繰り返す、人類の行く末を問いかけた資料館の計画である。緑で囲まれた湖をエントランスに、カナートを展示空間として使い、随所にある通風用の竪穴では、樹齢の異なる木々が文明の発展と凋落を暗示する。カナートは、既存の巨大な太陽光発電施設に出たところで終着する。
プログラムの要である樹木が相当な人為なしには成立しえないところに、やや設計趣旨との矛盾を感じる。よく練られた計画なだけに、初めての人でも直感的にわかるような平面図や解説文を加えるなど、パネルにも工夫の余地が残る。
しかし敷地の選定から計画、構造、素材、細かな空間の設計まで、きわめて完成度の高い作品である。特に施設の山場となる櫓の計画が素晴らしい。オアシスから薄暗いカナートを通り、重量感のある版築を横目に櫓を登り地表に出た人々は、突き刺さる木の墓標から自分たちが楼蘭文明の中心にあり、そこが茫漠と広がる砂漠のただ中であることに改めて気づかされるのである――

≪ 砂漠による銭湯のもう一つの進化 ≫

寸評
砂漠にうまれる共有性・自治性に注目し、彼が極限状態があったと考える江戸時代の東京の銭湯に、イスラームのハンマームにみられる求心性を持つ建築を導入する。そして、この銭湯がこのまま共有性を維持しながら現代に至れば、駅前のステーション銭湯へと至るであろう、という物語を組み立てた。
このような物語は日本における銭湯の建築形式の変遷、ならびにハンマームと呼ばれるイスラームにおける銭湯の類型から編み出された、彼独自のものである。銭湯に目をつけたこと、江戸に遡ることで銭湯の共有性を顕在化できること、そしてその歴史的変遷を物語にしたことで現代の提案へと接続したところがこの提案の核であり、その魅力は十分理解できるが、「歴史の流れるままに銭湯を進化させていく」と表現するところに彼の強引さと、無責任さがあらわれている。
彼の建築物は放射状に増築されていく。それは単に規模の拡張なのだろうか。あるいは構法の変化、文化の変化によるものだろうか。そして変化していくことによって銭湯はどのように都市に適応していくのだろうか。そのあたりをもう少し綿密に表現できれば、砂漠論としての彼の提案の魅力はさらに増していくだろう。

≪ 箱と塔 ≫

寸評
近未来的な砂漠を舞台に、脳をコントロールする端末装置「箱」と、端末同士をつなぐアンテナとしての役割をもつ「塔」を設計。
かつて仏陀がヒマラヤの頂点で人々の痛みと生命の始まりを因果づけたように、生の終焉と思われる砂漠では慈悲の心が人々を生きながらえさせると考えた。人々は箱をかぶりながら、送られてくる信号――他人の苦痛――を慈悲の心を持って理解し、他者に興味を抱き、此処彼処に散らばる塔を巡礼する旅をする。
「砂漠において、人はどのような進化を遂げるか」という問いを端に設計を始め、最後には裸同然の、ただし皮膚は焼けて鋼のようになり、しかしながら脳を操作しているためか形状の変化はさほどしていないところに落ち着かせた点に、真摯な思考の過程を感じさせる。模型には人が箱をつき合わせて挨拶を交わす姿が散りばめられ、装置を体の一部として使いこなしている様が伝わる。
空想物語さながらのデザインを、血と肉を与えながら砂漠論として帰着させた手腕に拍手を送りたい。茫漠たる地に屹立する塔のシャープさと、その足元に散らばる「箱をかぶる者」たちの緩やかな移ろいが、焼きつけるような太陽を背景に鮮やかに印象に残る。

≪ メメント・モリ ≫

寸評
東京近未来の黙示録的プロジェクト。砂漠を生活の舞台とする遊牧民の生態を詳しくスタディするなかで、砂漠における道と場所のもつ特別な意味作用を読み取り、そのイメージを東京へ投射する。東京の山手線の内側が砂漠化した場合、東京の生命は果たして継続しうるのだろうか。砂漠化してもなお場所の喚起力は命脈を保つだろうか。中央に空洞を抱えて存立する構造は東京が初発の段階から宿命づけられた姿であったかもしれない。
細密な鉛筆画による静謐をたたえた東京の俯瞰図、平面図のなかから立ち上がる光芒が印象的である。砂漠という困難なテーマに真正面から取り組もうとした真摯な作品として高く評価したい。

≪ THE EMBEDDED DESERT IN THE CITY ≫

寸評
砂漠のもつ空間的特性を建築的に「砂」「壁」「列柱」と翻訳し、砂を取り巻く空間共同体を領域論的に都市切片と定義づけ、これを現実の東京に埋め込むことを試みた。砂漠の建築的、都市領域論点翻案の知的な操作は群を抜いており、最終的な切片の幾何学的空間構成も美しい。この切片は都市の既存のコンテクストと無関係に投企されるが、時間とともに切片の輪郭に変化が生じる。この変化によって切片は都市の領域に徐々に同化していくことになる。
きわめて魅力的な空間構成であるだけに、これを3次元的に表現したらどのような相貌を得たかが知りたいところである。その意味で模型をぜひともこの作品に付け加えてほしい。